あくまでも、外へ、前へ。
本多健人(Kento Honda)
2020年初頭から始まったコロナ禍、また2022年のウクライナ情勢の悪化は、いかに私たちの時代がグローバルであるかを顕著に示すものです。
しかし、私たちの生活はこのようなグローバル化とは関係なく、むしろまったく関係なく進んでいます。人間は生物であり、子どもの成長、大人の老い、晩年はめぐるものだからです。
今年38歳になった私は16年というフォトグラファーとしてのキャリアを築いています。この価値は、TikTokやInstagramがこれだけ流行し、iPhoneが14まで発売され、ソニーの指標では2025年頃には一眼レフと同じ性能をスマホが持ち合わせると言われている時代において、稀有と言わざるを得ません。
なぜならフォトグラファーの使命は重いからです。私はもう二度と戻ることのない時間をシャッターで撮っていく。その絵は一生残ることになる。つまり、私がやっていることは、記憶の整理であり、それは子の性格をよい方向に向け、大人の成長を促し、老いが残した若さを映し出すことです。
常に時代に必要とされるよう、都市と地方を行き来し、いにしえと最先端の知を兼ね備える、私はこのような自分の仕事を誇りに思っています。
学歴
- 2003年
- 佐賀県立致遠館高等学校普通科英語コース卒業
- 2005年
- 青山学院大学経済学部第二部経済学科入学
- 2011年
- 同校卒業
経歴
- 2005年
- 社団法人共同通信社政治部学生アルバイト
- 2006年
- 株式会社佐藤写真(本店:帝国ホテル写真室)にアシスタントフォトグラファーとして採用後、ホテル日航東京写真室に配置
- 2006年
- 東京23区、川崎、横浜にて学校写真のフォトグラファーとして活動を始める
- 2007年
- 株式会社佐藤写真ホテル日航東京写真室のウェディングフォトグラファーとして勤務
- 2008年
- 国際連合大学図書館・アメリカ大使館主催の講演会などで撮影
- 2008年
- Motoko Workshop2008に参加 第一線で活躍されているフォトグラファーや広告代理店・編集者・ライター・出版社の方と出会う
- 2010年
- ウェディングの年間の撮影件数が130件を超えるようになる
- 2011年
- 大学卒業 株式会社ニコンに勤務 大井製作所第一品証部にてD7000系の一眼レフの品質保証をする
- 2013年
- 日本放送協会(NHK)佐賀支局に勤務 スタッフ(ディレクター)として多数の番組を制作する
- 2014年
- 野村證券株式会社に勤務 ファイナンシャルアドバイザー課に在籍(現在は総合職に合併)
- 2016年
- 野村證券株式会社を退社後フォトグラファーとしての活動を再開
- 2021年
- 「きほんのさつえい」「ていがくのさつえい」の商品開発
- 2021年
- 佐賀市内にてサービス付き高齢者向け住宅の撮影を始める
- 2022年
- ストロボの多灯ワイヤレスシステムを用い妻と子をアシスタントとして室内及び野外に自由にオリジナルのスタジオ空間を築く
- 2022年
- 「ていがく」の撮影件数が累計200件を超える
所属
- 横浜市立大学日本文学研究会
- 株式会社佐藤写真
- 日本証券業協会第一種証券外務員
- 青山経済人会 青山学院 OBOG 異業種交流 コミュニティ
これまで撮影した方々
- NHK(ニュースウォッチ9)、内閣府、自由民主党、国際連合、日本銀行、全日空、JAL、野村證券、大和証券、みずほ銀行、三井住友銀行、三菱UFJ銀行、東京海上日動火災保険、三井住友海上、アクセンチュア、ボストン・コンサルティング、あずさ監査法人、デロイト・トーシュ・トーマツ・コンサルティング、日本IBM、東京電力、ソニー(αシリーズ開発班など)、ニコン、オリンパス、キヤノン、NEC、富士通、パナソニック、トヨタ自動車、NTTデータ、ソフトバンク、テレビ朝日、武田薬品工業、電通、博報堂、フジテレビ、テレビ朝日、住友商事、三菱商事、伊藤忠商事、サントリー、キリン、アサヒビール、味の素など多数 その他、俳優、ファッションモデル、宗教法人関係者、医師(開業医および勤務医)、看護師、理学療法士、介護士、保育士、公認会計士、税理士、弁護士、国家公務員、地方公務員、国会議員、地方市議会議員など多数